「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読んで

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」
新潮社 ブレイディみかこ著

この本を本屋さんで見たとき「なんか読みたいなぁ」と思いました。
図書館に行くときはいつも貸し出し中だったので予約をしてやっと借りることができました。

私はイエローやホワイト、ブルーというのは主人公の気持ちや環境なのかなと思っていましたが、
レイシズムを表す内容でした。

著者とその家族はイングランドに住んでいます。
移民や人種について根強くレイシズムがあり、そのレイシズムを周りの大人が子どもに代々受け渡してずっとレイシズムはなくならない構造です。
また差別を受ける側もそれを仕方のないことだと思っています。

日本でも女性差別、障がい者差別、動物などを下等と見なす種差別などたくさんの差別がそこらじゅうに転がっています。
なにが差別なのかすら認識していないまま、子どもに伝え、ずっと伝えられるのでなくなりません。

なにが差別なのか、はっきり具体的にしていく必要があり、おかしいものはおかしいと伝えなければいけないと思いました。
アメリカでは大規模なデモが行われています。映像を初めてみたときはガクガク震えるほどの衝撃でした。
なぜあんなことができるのか、どうしたらそうなるのか理解ができません。

私も障がい者で女性の一人なのでたくさんの差別を受けていままで生きてきました。
理不尽だなと思うこともたくさんあります。
これはおかしくないか、この行動は差別をはらんでいないか、ひとつひとつの言葉や行動を考えながら、振り返りながら過ごしていこうと思います。

印象的だった2か所の感想を書こうと思います。

P29 英国での幼児教育施設は演劇的な指導を日々保育に取り入れている。笑っている顔はうれしいとき、楽しいときにする表情であり、怒っている顔は怒りを感じているときにする表情なのだということを幼児に教え込むのだ。(中略)
p30 「気持ち」と「それを伝えること」はリンクしていると教え、自分の感情を正しく他者に伝えられるように訓練するのだ。
私が勤めていた託児所は失業率と貧困率が非常に高い地域の慈善施設の中にあり、DV、依存症などの問題を抱えた家庭の子どもが多く通っていた。彼らは表情に乏しかったり、うまく感情を伝えられないことが多かった。

(感想)
子どもは不安定で危険な状況が日常だと表情がうまくかみ合わなかったり、状況と気持ちがリンクしないストレスが蓄積されます。
それは犬たちもそうでトレーニングをして行動を押し付けて、その行動はいい、その行動は悪いと評価していたときのヴェンは表情があまりなく、いつもピリピリしていました。
うれしいとき、悲しいときが感じられなくなるのはとてもつらいことです。
うれしいときは笑ってもいいし、何もしなくてもいい、つらいときは思いっきり不機嫌になっていい、怒っていいと私は思います。
感情に蓋をされることはとてもつらいし、自分の気持ちがわからなくなるのは生きづらいからです。

p166
それにしても、幼児たちの世界はなんとカラフルで自由であったことだろうか。
子どもたちには「こうでなくちゃいけない」の鋳型がなかった。男と女、夫婦、親子、家庭。「この形がふつう」とか「これはおかしい」の概念や、もっと言えば「この形は自分は嫌いだ」みたいな嗜好性さえなかった。そうしたものはせいちょうするとともに何処からか、誰からかの影響が入ってきて掲載されるものであり、小さな子供はそんなものはない。あるものをあるがままに受容する。

いいことも、悪いことも周りから注入されることが多いです。
幼児のときにというよりも生まれてからすぐにら「鋳型」にはめられているのです。
「〇〇は悪い」「〇〇はやっかいだ」ということが耳に入ると先入観を持ってしまったり、洗脳されてしまいます。
情報は精査してどこからの情報なのか、正しい情報なのかしっかり考えてみていく必要があります。
子どものころから植え付けられた価値、感覚を見直していくことが大事だと思います。

伝えない、伝えられてたものも考えるをやっていきたいです。

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