「ルポ 教育虐待」を読んで

「ルポ 教育虐待 毒親と追いつめられる子どもたち」を読んで

私は子どもを産み育てることはできませんでしたが、自分と向き合うことや犬育ては子育てと非常に関係性が深いなぁと常々思います。

それで子育て、教育、アダルトチルドレン、虐待、毒親などにとても関心がありいろいろと本をよみました。
今回は「教育虐待」。

「教育虐待」とは「あなたのため」という大義名分のもとに親が子に行ういきすぎた「しつけ」や「教育」のことです。
私はヴェントゥスをトレーニングすることでよかれと思ってやっていたことが犬にとってはとても苦しい、ひどいことだった経験もあります。
犬育てや自分と向き合う上でそうだなぁと特に感じたところをピックアップして紹介したいと思います。

自分の人生の羅針盤を持とう

「そもそも人生に絶対的な『成功』なんてものはない。いいときと悪いときがあるだけだ。
どんな人生が『充実してか』なんてものかは、それぞれのひとが決めること。そのためには、ほかの誰でもない、自分自身のモノサシが必要だ。それがその人にとっつて『人生の羅針盤』」(P114)

親や大人から「ああしなさい」「こうしない」と指示ばかり受けていると自分の考えや気持ち、そして何が好きか、何をやりたいかということがわからなくなります。
親や大人も自分の経験や成功体験からしか「ああしなさい」ということはできません。
しかし、一人の人間が経験できることなんて少ないので人にアドバイスをすることはあまりできないのではないかなぁと思います。

自分で決めて、失敗して、それからどうしたらよくなるか、どうしたらできるか、はたまたあきらめるか自分で決めることが一番自分の力になるし、納得もできます。
親は大人は失敗しないように子どもたちが楽に生きていけるようにします。
でも失敗しながら学んで自分の羅針盤をもつことが強みと自分自身に納得できるようになるので、失敗はいいことなのではないかなと考えます。

罰は悪いこと

「『愛があれば叩いてもいい』という甘い考えが見え隠れする。(中略)
しかし、愛があるとかないとかそんなことは関係ない。指導者の指導力として、身体的な罰をもってしか指導できないのか、それ以外の適切な方法を会得しているのかの違いである。体罰を生むのは愛ではなく、指導者としての未熟さである。(中略)体罰に限ったことではない。言葉による罵倒、態度による存在価値の否定も全く同様のリスクをもつ。『罰』とよる教育全てが問題として論議の場にさらされるべきだ。」(p120)

今の教育やヒトの子ども、犬に対してはよくできたらご褒美や褒めてもらえる、できなかったら叱ったり罰を与えることが蔓延しているように思います。
その人が正しいと思うことに従えたときは「正しい」、でも別の考えを持つ別の誰かはそのことは違うというかもしれません。

保護者や教師は自分の言う通りに子どもたちやイヌが動いてくれたら安心でうまくいっていると思いますが、その態度は子どもたちやイヌなどの存在価値を認めず、条件つきでの肯定しかもらえない、違うことをすればさまざまな罰がやってくるとしたら安心できません。

今がどんな結果であれ、そのときそとのき、自分の身を守ったり、どうにか生き延びるために決断したことを大事に思いその積み重ねで今の自分があることをみんなが当たり前に思うようになったら罰など生まれず、自分のことに自信がなかったり自分の存在価値をすごく低くみている多くの人は楽になると思います。

最後に

愛犬のヴェントゥスが困らないように、ヴェンのためにと私は自分の頭で考えられる不安を取り除き、トレーニングや厳しいしつけをした時期がありました。
でもなにひとつヴェントゥスのためにはならず、彼をひどく傷つけ、感覚を麻痺させ、尿意すら感じることのできない負荷をかけてしまいました。

誰かのために何かをしたいときは、率直に伝え、必要か必要でないかを聞くか、「困った、ヘルプ」と呼ばれるまでは見守るのがいいなと感じています。

イヌたちをみると困ったことは自分で工夫して解決することがとても多いし、「困った」というときは明確に教えてくれます。そして相談しながら一緒も考えると「あなたのために」という実は「自分の不安を解消するためにすること」がなくなると思います。

日々心がけたいと思います。

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